聖書とは、全宇宙の創造主から全人類
一人一人に宛てた手紙だと思うのです。
例えば
自分は、出来の悪い子でしたから、親からの愛ある手紙には、反発しながら年ばかり重ねてきました。
また、
ある方は、聖書を手にしたことがない。
さらに、文字さえ読めない広義のこどもたちもいます。
それで良いのです。
なぜなら、
空は青いし、海も青い。今日、灰色だとしても、いつかは青色に染まります。風が肌を撫で、夜の暗闇が町を覆い、朝が、良くも悪くも皆に訪れる。
親からの手紙の難しい部分は、すっ飛ばし、それでも、生き続けてみると、時々、読み返したりしたくもなる。
新訳は、悲しく、胸が痛くなります。身が、潰れます。
イエスはなぜ殺されなければならなかったのか?
希望は、何処にあるのでしょうか?
特筆すべきは、旧約時代栄華を極めたソロモンの「虚しい」という呟きから、伝道の書は始まる。更に、付け加えるなら、ヨハネの最後の一文。それが、こどもたちの叫びに聞こえてならない。