無題

 

今でも繰り返されていること

 

昔、

「死」の連打を浴びて

病院送りになりました。

言葉を発した本人に

自覚はありません。

私の方が

社会不適合者になりました。

 

その人は、何不自由なく幸せに生きていて欲しい。

その人の言葉「死ね」の通り、その人の前から消えた。その人が、誰か解らないので、

ネットから消えた。私から。。。

PTSD「死ね」という文字は、目を通して心を突き刺し、脳に刻み込まれた「文字。言葉では無く。単なる文字」

 

 

Win95が始まった時

日本人の声だけが、ネット上に在りました

声を上げたい子どもたちの声こそが

底にありました。

1995年の頃

大人も個人はそうでした。

当時のネットは、ビジネス色は皆無でした。

だからこそ、皆が、迷いの中にいました。

 

生きるのが、どれだけ、困難なのか

Win95からネット社会を見てきて

一度は、自分も、そのネット社会から

脱落(死)させられて

ありふれた言葉ですが

命を絶たないで

生きて欲しかった。最後まで。

誰も解決出来ないことは、確かにあります。

時が、解決してくれる)なんて悠長な命を

元々、どなたも与えられていません。

高々、生きて120年の時間です。

 

 

 

過去の全てが

懐かしくて

愛おしい

今は

生きるとは、そういうことだと

 

生きるために、パソコンから離れたのに

そういう職業についてもなお

SNSという現実に組み込まれて

思い知りました。

いつの世も、

人が人に「死」を望んでいる以上

人が人に消えて欲しいと望む以上

問題は、掲示板でもSNSでもない。

 

 

筆を持つということは、

自分を曝け出し苦しむ

 

世の中は、思わぬ方向に突き進みますが

恐れず

正しくて愛在るものを探す

何より

創造の源

言葉の源

 

 

日本人

日本は、とても良い国です。

 

それが

いつからか

 

戦後の焼け野原がいつの間にかできて

あちらこちらで戦争がはじまっている

そう

思う

 

現実社会で

信頼していた人に、ネット上で、

「死ね」と書かれた文字を

目にした時の対処法。

とりあえず。

 

 

 

 

              つづく