教会を探し歩いてみました。

「量子物理学とアボガド」

人々が働いている時間に
散歩しながら
教会巡り。


自殺大国日本。
人は、皆、いずれ死ぬ。と教えられているから
死に導かれていく。そこに、死後の世界は皆無。無。無意識。

釈迦はこの世の4つの苦しみを説いてくれました。

老い

そして、誕生。
修行が全ての生涯。
人生を生きることが苦難の連続。
こどもたちは、くなんだらけです。
あなたがた、えらい人にいわれなくとも身をもって実感じています。

また
南無阿弥陀仏をとなえれば。
皆、平等に極楽浄土に行ける。と
説いた親鸞

ならば、僕の友人をいじめてた人と
いじめを苦にして亡くなった友人と。
百歩譲って。二人は、極楽浄土で
南無阿弥陀仏を唱え。共に生きる。

けれども
実際、南無阿弥陀仏を唱えたのは、両方のそれぞれの親御さんたち。

それでも共に生きる。未来極楽浄土を。
そして、今、現世を共に生きている。

もしも、それが可能なら、凄い。
究極の憎しみが浄化されるわけですから。


ただ
「正義」とは、何処にも無い。

有るのは、生きているものの苦しみと死んだものの無念。

やりたいもの勝ちの世界。


ps
日曜日に教会の扉は開く。

多くの非正規雇用の人間には
教会から見捨てられた。
本屋に立ち寄り、イエス・キリストを探すが、当たり前のように、見事に無い。
家に帰り
インターネットに繋ぐ。

全ては、管理されていることを知りつつ

それでも
せめて、日々を記す。

ごうちゃんと松本牧師の回復を自分の為の願いと
祈りという崇高なものが交差します。


教会はどこにあるのだろう?
空間にある。

時さえ超え