罰という思想

祟り という思想

 

聖書全巻66冊あるのですが、

「祟り」という言葉は、ありません。

ここで明確なのは、人が人を支配する為に、

神仏という目に見えない世界を悪用してきたということです。

それが、人類の歴史です。

 

ドストエフスキーに「罪と罰」という小説があります。

「罪」という言葉を最初に発したのは、

カインとアベルのカインです。

アベルを殺した後に、

創造主(カインの父はアダム、母はエバ)に懇願しています。

「私の罪は、重くて負いきれません。」

 

もしも、

聖書の神が、罰を与える神であるら、。。。しかし、聖書の神は、天の父であられるので、ある解決方法を示します。

 

私達は、色々不自由でも

心だけは、自由です。

私の稚拙な文章をこれ以上、ここに書くよりも

貴方の自由な心で、聖書を読み、深い意味を考え、人の言葉に左右されるのではなく、聖書の莫大な量の言葉から、知恵を受け取られることを祈ります。

 

最後になりましたが、

聖句から。

 

「初めに神は、天と地を創造した。」

            創世記より

「私はあなた方を愛した」

            マラキ書より

「神は愛です」

           ヨハネの手紙より